日南からの便り 崎田日南市長の選挙不出馬表明

令和2年10月12日

日南市長の3期目不出馬の決断をいたしました。
本日、正式に記者会見を行う予定です。

私は市長就任前から2期8年か3期12年と考えていました。
そう考えるに至った背景や今の思いを説明します。

【背景】
私が尊敬する政治家は、同じ首長職をされた五ヶ瀬の前町長の飯干辰己さんです。
私の前職は県庁職員で、その20代の頃、飯干町長(当時)の政策、町民や職員に対する姿勢、リーダーシップなどに惚れ込み、五ヶ瀬に何度も足を運び、飯干さんに宮崎市に来ていただいてプライベートの勉強会で講演をしていただくなど、たくさん学ばせていただきました。

その飯干辰己さんの言葉で、私の中に強く印象に残ってるのは、
「変わる時には1年目から変わる。変えられない人は何年やっても変えられない」
「10年やって変えることができなかったものを、同じ人がそれ以上やっても変えられない」というものです。

これは、飯干さんのトップリーダーとしての決意でもあると思いましたし、特に2つ目の考えから、飯干さんは「10年やってみて自分にできなかったことは何年やっても自分の能力ではできないこと」とおっしゃって、3期12年で不出馬の決断をされました。
その時に「本当は2期8年で終えても良いと考えた。しかし、後を継いでくれる人の目処もつけずに、とはいかなかった」とおっしゃったのを覚えています。

そして私の今回の決断でありますが、市長就任時から、10年の区切りは首長にはないので、2期8年で満足できたら幸せだなと考えていました。
飯干さんの言葉を胸に秘めて、「その気概を持って職務にあたるぞ」と初当選の春に思ったのを懐かしく覚えています。

私の場合、2期8年(まだ正確には7年半)が、とても長く感じています。
県庁職員だった時代や初めての選挙をやった頃、市長就任時というのは、約8年ほど前のことなのに、実感としては20年くらい前のことのような感覚です。

とても濃密な、そしてとても幸せな、これまでの7年半だったと思います。

【いつ不出馬を決めたのか】
まず、丸6年が終わる昨年の春に、妻と両親、後援会長と副市長に「今季限りで、3期目不出馬としたい」と伝えました。

ただし、政策として成し遂げたいと考えていた「飫肥(おび)城下町の歴史的建造物(市所有)の活用」と、「崎田市政を継承、そして発展させられる人を見つけること」を、残り2年で必ずや実現すると胸に決めました。

飫肥城下町については、従来の”指定管理者制度”から市の直営に変更し、一部の施設を民間に貸し出すために行政財産を普通財産に変える条例を可決し、民間投資による利活用事業者を全国から公募しました。
結果として、JR九州さんやJALさんらのJVの提案を採択させていただき、2年以内の開業又は工事着手に向けて動き出しました。
そのほか、同じく2年以内に小村記念館と歴史資料館の大幅なリニューアルを行います。予算が既に可決され、工事が始まるところです。

これから、飫肥の町は、これまで以上に歴史のロマンが感じられる素晴らしい町に生まれ変わると確信しています。

そして、私が心から信頼し、私の後を任せられると思う方が決意をされたことがあってこその私の決断です。
コロナ禍となるなんて思いもしなかった今年の初め、私から「私の後への決意をされないか」と話をさせていただきました。
その方は、私と一緒に様々な政策の実現に漕ぎ着けてきた方であり、その実務能力・リーダーシップ・人を惹きつける力は抜群だと思っています。
日南市の更なる進化を、実は私が最も楽しみにワクワクしています。

【これまでを振り返って】
振り返ってみて、私は改めて、恵まれた2期の市長生活を送らせていただいたと思っています。

東九州自動車道の整備が進み、日南市初の高速道路区間が開通、宮崎市まで繋がるのも目前まで来ました。南への区間も事業が進み、南郷地区まで用地買収が既にスタートしています。
国道220号(鵜戸地区)の道路整備も進み、トンネル着工から完成までしたものや、新規区間(南区間)の事業化も成し遂げました。

油津港の整備も進み、大型クルーズ船が日南市に入ってくるのが日常となりました。新型コロナの影響で今は止む無しですが、またいずれ賑わいます。

地域医療分野にも力を入れ、県庁から人材も派遣していただき、地域医療対策室を設置。
住民への啓発のみならず、市立中部病院の経営改革にも取り組み、市からの繰り入れを大幅に下げるなど、病院スタッフの頑張りもあり、大きな成果となりました。

また、”子どもの貧困”については、大阪で活動されています辻由起子さんにご指導いただきながら、住民の啓発から計画の策定、そして、教育委員会では「いのちの教育」がスタートし、赤ちゃん授業や新たな性教育が行われています。

そのほか、LGBTの理解を広げる取り組みを行ったり、合併10周年を記念して秦基博さん(日南市出身)を飫肥小学校グラウンドにお招きしてのライブの実現もできました。

そして、先日(10/10土曜)の宮崎日日新聞の記事にもありましたとおり、”自分にしかできない政策手法に挑戦し、やり切った”というのが率直な今の気持ちです。

”飫肥城下町の再生”は、内容は既述の通りですが、民間人や県庁からの人材の登用、そして何を言いましても飫肥地区住民の大きな理解と協力があり、その上で、まさに新たな手法によってレールが敷かれましたので、この2年で、飫肥の町は劇的に変わると思います。

そして、やはり、自分にしかできなかった政策のもう一つの代表格は、”油津商店街の再生”です。
”サポマネ”木藤さんとマーケティング専門官の田鹿さんの2人の民間人登用を基軸に、元々の商店街の皆さん、新たにやって来てくれた店主の皆さん、多くのIT企業経営者の皆さん、それを裏で支えた市役所職員の奮闘があって今があります。

8年前に、シャッター街で人が全く歩いていなかった商店街において、10社を超えるIT企業、100人を超える若者が、空き店舗をカッコよくリノベーションし、その中で働く姿を誰が想像できたでしょうか。

この油津や飫肥での成果は、”地方創生の好事例”として評価をいただき、全国から多くの視察者が訪れました。
日南市では、これまで大臣による行政視察というのは無かったそうなのですが、この8年間で6人の現職大臣が視察に訪れていただき、特に地方創生担当大臣は3人の方がお越しくださいました。

最初の大臣視察では、これまで日南市で市職員に経験が全くなかったので、その準備に大騒動となり、当日をドキドキしながら迎えたのを懐かしく覚えています。
今となっては、ある意味慣れてしまいまして笑、どうすれば大臣に要点を理解してもらえるか、その視察内容を突き詰めようとするくらいの余裕も生まれているところです。
そのほか、官房副長官、副大臣、政務官、他県の首長も多く受け入れさせていただきました。

このように振り返ってみて、大変充実し、本当に幸せな市長としての日々を送らせていただいたと思います。
何一つ悔いのない、清々しい気持ちでいます。

【多くの皆さんへの感謝】
まず、ここまで支えていただいた副市長をはじめとする市役所職員の皆さんに心より感謝申し上げます。
7年半前に、33歳の若造がある日突然上司としてやってきて、受け入れる市役所は不安でいっぱいだったのが実際ではないかと思います。

よく、全国で講演に呼ばれた際、質疑応答の時間に「年上の部下・幹部が言うことを聞いてくれなくて苦労したエピソードを教えてください」「反発する年上の部下をどうすることによってまとめてきたんですか」などの質問を受けるんですが、「そもそも、部下についてきてもらえず、苦労した経験がないんですよ笑」と答えています。

本当に全くなく、就任当初から私の考えを理解してもらい、私からの指示事項に真摯に向き合って、形にしてくれた大変優秀な日南の市役所職員に心からの感謝であります。
この日南市職員なくして、﨑田市政は成り立っていません。
熱い情熱とレベルの高い行動力・スピードを持つ、全国に誇る公務員です。

そして、日南市では、自治会、消防団、地域連携組織といった住民活動も盛んです。
たくさんの市民の皆さんの自発的な動きがあって、今の日南市があります。
”グリーンフラッグプラス”という新型コロナ対策の住民啓発活動を、自治会連合会から逆提案を受けたのは象徴的なことでした。

また、濱中議長をはじめとする日南市議会の皆様、国会議員・県議会議員の先生方、河野知事をはじめとする県庁職員の皆さん、県内自治体の皆さん、そして、全国の都道府県・市町村の皆さん、国の各省庁の皆様にも大変助けていただきました。

私に関わってくださった全ての皆様に感謝を申し上げます。
本当に幸せな日々でした。

最後の最後に、後援会を支えていただいた長尾会長や堀田事務局長、そして応援いただいた全ての皆様への感謝を申し上げます。
そして、いつも笑顔で支えてくれた妻と、元気いっぱいの3人の子どもたち。常に陰で支えてくれた両親にも感謝の気持ちでいっぱいです。
家族の支えがあって、今の私があります。本当に本当にありがとうございました。

一方で、もちろん、”日南のまちづくりが完成された”と思っているわけではありません。

初当選の夜、マスコミからのインタビューで「市長になって何がやりたいですか?」との問いに、「人づくりです。」と答えました。
そして、しばらくして、日南市のコンセプトが『創客創人』となりました。

コンセプト発表の際に、それを伝えるめちゃくちゃ素敵な動画を制作することができ、この「創客創人」が体現できる日南市になるために必死に走り抜けた7年半でした。

今の日南市の一番の財産は『人』であります。
日南の人たちが各分野で立ち上がり、市外からもチャレンジをする若者が集ってきて、それがまた刺激となり、新たな価値を創り上げていく。

まさにこのプラスの循環こそが『創客創人』です。
日南市はこれから更なる進化をしていくと確信しています。

・・もうこれで卒業するような感じの文章の流れですが笑、まだ半年の任期を残しています。
最後の最後まで、﨑田恭平らしく市政に全力投球いたしますので、何卒よろしくお願いいたします。
もちろん、退任後も日南に住みますので、その先も変わらない人間づきあいをお願いしたいと思います。

本当にかなりの長文、失礼いたしました。
ありがとうございました!

日南市長 﨑田恭平