関東日之影町人会&東日本おがたま会会長 藤田詔子さん

 

早いもので上京して46年になります。私は宮崎県日之影町出身の藤田詔子(ふじたのりこ)でございます。父は高千穂町、母は日之影町、歌のふるさとの歌詞にあります様に山は青く水は清きふるさと、忘れがたい大好きなふるさとです。たくさんの想い出子どもの頃から五ヶ瀬川で泳ぎ遊びました。年々懐かしく思われます。

思えば東京の生活も長くなりすっかり東京人へ変身、変貌かと思われるかもしれませんが、心は今もみやざき人です。いつも故郷の事が頭から離れなく宮崎のイベントがと聞くと何はさておいても飛んで行きたい大好きな宮崎、宮崎に生まれて良かったと心から思える根っからの在京みやざき人です。このコーナーに依頼され何を書けば良いかしら東京にいるみやざきの人何故どうしてここに、何をしようとしているの?いつもみんなから元気ね〜の言葉を頂くけれど、その想いは元気はエネルギーはどこからくるのという事等を書けば良いかしらと理解しました。過去の事は兎も角として、書き始めたら終わらない〜という事ですので第二弾、第三弾とあればですが書ききれません。

身体を壊して治療の為東京へという事が前提にあり沢山の方にお世話になり語り尽くせない程の御恩を頂きました。ここ迄生きて来れたのは家族の支え、友人知人のお蔭です。ご恩返しをしなければとお世話になった方々を訪ね全国行脚をしたいというのが私の夢でした。仕事の他、子どもの幼稚園、小学校の役員中学校ではステージ4の癌にて9ヶ月の入院の為何も出来ませんでした。高校、大学の役員、自治会役員と、もう終わりかと思っていましたが、この後も、関東日之影町人会の役員、東日本おがたま会の役員、宮崎県人会の役員、県北高校の連合バンバ会と度重なる病気で東京に出て来てからも死を予感する程の病気にみまわれながらも生きる元気、命を頂き総ての事に感謝の中にいた私は、ご恩返しをと思いながらいつのまにか頼まれるままに私では役不足でとお断りしながらも引き受けてしまっていました。そして今があり、震度7の熊本地震からすぐに亡くなった母が101歳迄お世話になり生まれた町に、お礼をご恩返しが出来る幸せに有り難く感謝でいっぱいです。県北の静かな町に生まれて東京に出て来て井の中の蛙ではいけないという思いから、在京の県南、県央、県北の皆さんがご自分の故郷を個々に思い、溢れる情熱を傾け、まるまるボランティア精神で役員や会員として頑張っていられる素晴らしい方々とのご縁を頂き、さらに私も魅力ある宮崎県を関東の皆様にアピールしていかなければならないと思っています。

今年はまだ9月、10月、11月と行事がたくさんです。

9月  第24回東日本 おがたま会総会   在京宮崎県人会実行委員会  バンバ会反省会

10月       西日本おがたま会総会       ひなたフォーラム共催在京宮崎県人会総会

11月       第32回関東日之影町人会総会     他各総会に向けての会議

ひなたフォーラム共催の在京宮崎県人会総会で歌う東京ひなた混声合唱団の月2回の練習、宮崎県の行事で私のカレンダーは埋まりそうです。  故郷の皆さんが心を込めて作った美味しいお米、焼酒、お茶、椎茸、金柑、柚子、栗、ほおずき、数え切れない程の沢山の物産品を、伝統ある神楽を、宮崎県の魅力を、関東の皆さんへ届けたい〜。お陰様で六本木の朝日神社での毎年恒例の日之影町のほおずき市も今年で15回目を迎えましたこんな素晴らしい東京でのイベントのお手伝いが出来る喜び、在京みやざき人として宮崎の皆様に遠くから思いを馳せながら届けたいと思います。在京の皆様と一緒に少しでもご恩返しの真似事が出来ればと思う今日この頃でございます。

何を書いたら良いのと思いながら沢山の想いを自分の思うままに書いてしまいました。拙い文をここまで読んで下さいました皆様誠に有り難うございました心から感謝申し上げます。
これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

(_ _).。o○〜☆   いつまでもふるさとみやざきを忘れません〜☆

 以上